三度の飯より六人の男たち

あるV6ファンの備忘録的な何か

あなたのV6はどこから?私はここから

えー、寒いタイトルですが沼落ちの話を1つ。


2019年5月19日。井ノ原くんの43歳の誕生日から2日後。

私はV6を好きになった。高校3年生、17歳の時だった。

その頃は進路のことで悩んでいたところに追い討ちをかけるように、新しいクラスが自分に合わないという悩みが増えて精神的にボロボロだった。

そんな中で幸せなひと時を求めて、当時の推しが出ていた舞台を観に行くことにした。その頃はチケット代より新幹線代の方が高いド田舎に住んでいたこと、両親が私の趣味に無理解なことを踏まえて、2人には某大学の学園祭に行きたいと嘘をついて若干の資金援助をしてもらった(※よい子はマネしないでね)。


今思えば、せっかくの観劇だからと当時の推しにファンレターを書いたことが今ここにいることの引き金になったのだろう。

前日の夕方まで模試でそこから塾に行ったため、ファンレターを書き始めたのは夜の23時過ぎ。舞台は昼公演だから始発の新幹線に乗らなければならず、そのためにはもう寝た方がいい時間である。しかし行きの新幹線で髪のセットやメイクをするため、ファンレターを書くなら今しかないと下書きだけでも終わらせたかった。


翌日、貴重品や推し活グッズと一緒にファンレターの下書きを持って家を出発。新幹線の車内で朝食を食べ、髪をセットしたりメイクをしたりした。ファンレターを書こうとしたが、思っていたより車内が揺れるため、後ほど書くことに決めた。

ここまで読んだ人の中でチケットはどうやって入手したのか気になった人もいるだろう。

Twitterのフォロワーさんがその日のチケット(一般)を持っていて、急用が入ったため譲ろうとしていたのだ。ちなみに受取方法が都内手渡しだったから、ファンレターの清書の時間がどんどん減っていった。そんな状況なのに某カフェで推し活をしてから会場に入り、座席で開演を待ちながら膝の上で清書をしていた(なんて奴だ…)。

終演後にスタッフさんに手紙を預かっていただき、会場を出て帰宅。諸々のことを終わらせて寝ようと自室に入ると、机の上にファンレター用の便箋が置きっぱなしだった。

便箋を片付けようとしたが、引退した部活の後輩達に手紙を書こうと思い、そのまま手紙を書くことにした。もちろん、よくブログ上で話題にしている後輩ちゃんにも。

1人ずつに手紙を書いてから、その後輩ちゃんへの手紙に健ちゃんの似顔絵を描こうと思った。GoogleでV6を調べてJnetのサイトにたどり着く。


そして健ちゃんのアー写と対面。見た瞬間に私は固まった。

1979年生まれってことは今年で40!?このビジュアルで??と動揺を抑えきれない。

あまりの衝撃にどうすればいいか分からず(似顔絵を描きたまえ!)そのままDiscographyのページを見てさらに驚愕。

Super Powers/Right Nowの通常盤のジャケ写で健ちゃんが金髪じゃありませんか!!!!!!

三宅健さんによってV6の沼に一気に引きずり込まれた私は、そのままWikipediaでV6やメンバーのページを閲覧。

(´ε` )Wikipedia見てんじゃねぇよ!って声が聞こえてきそう(きません)。
https://youtu.be/h1F_6LEAnxY?t=10m18s


こういう流れで私はV6の沼にズブズブと沈んだのであった。

幸いハマった時期は白い巨塔特捜9の放送、ファブルの告知、ある日願いが叶ったんだ/All For Youのリリース間近などで、テレビで彼らを見る機会が多かったため私はどんどんV6の魅力を知ることができた。

あの時ファンレターを書いていなかったら、便箋を片付ける余裕がある程ファンレターを書く時間があったら、きっと私はV6の沼に落ちていなかっただろう。


それにしても1番好きだった人に初めて生で会った日の夜に新しい推しができるなんて残酷だなぁ…。